2019.02.16

「廃プラの国際循環から国内リサイクルへの転換」

「廃プラの国際循環から国内リサイクルへの転換」

山下 強(孫 自強)氏は長年に亘り中国、日本のプラスチックリサイクル事業に携わられてきました。

2017年末の中国政府の資源ごみ輸入全面禁止は、我が国のプラスチックリサイクル市場にも多大な影響を及ぼし、今も混乱が続いています。中・日両国のプラスチックリサイクル事業を熟知し、20年に亘る豊富な経験と知見を有する山下氏の今回のお話は、日本のプラスチックリサイクル事業の課題、将来を考えるうえで有用、有益な指針になるものと思います。

以下、その内容をご紹介します。

山下 強

■講演者プロフィール
山下 強(やました つよし)氏 (亜星商事株式会社 代表取締役)
1964年 中国・上海生まれ 日本に留学、東京大学大学院修士号取得
卒業後上海近郊に亜星(太倉)再生資源開発有限公司設立 中国でのリサイクル事業展開
2013年 日本に亜星商事株式会社設立 日本でのリサイクル事業展開 以後事業主軸を日本に移す
2018年 中国政府資源ごみ輸入全面禁止を踏まえ、日本での再生ペレット生産、中国への輸出体制本格化

注)以下の画像(章題、コメント、写真等が青線枠で囲まれたもの)は、講師が作成し講演の際に使用したものです(ただし「参考①、②」は当協会で作成)

コラム

初めに

もうすぐ今年(=2018年)も終わりとなりますが、私にとってこの1年間は激動の年でした。このような中、皆さんとの意見交換の場を持てたことはとてもありがたく思っています。

ご存知のようにプラスチックが開発されてからわずか100年ぐらいしか経っていません。1950年代に実用化が進み、その後の数十年間で様々な分野に応用され、私たちの暮らしはとても豊かなものになりました。他方、プラスチックの大量生産、大量廃棄は今いろいろな問題を引き起こしています。現在の地球文明が終焉を迎え、100万年後の新たな文明社会の考古学者が私たちの時代の地層を掘り返したら、私たちは長期間に亘りプラスチック文明下にあったと解釈されてしまうかもしれません。例えば、PETボトルは400万年分解しないので、発掘した地層にPETボトルがほぼ原形のまま積み重なっているのが見つかることになるからです。

プラスチックのリサイクルとなると更に短くてやっと30年の歴史があるかないかといったところです。私は、プラスチックリサイクルに関わる事業者として日本の廃プラスチックを中国へ20年間輸出してきました。中国は長い間廃プラスチックの最大の受け入れ先でしたが、ご存じのとおり今年からプラスチック輸入を全面的にストップしています。これを追いかけるように東南アジア諸国も次々と輸入規制を打ち出したので、今、日本の廃プラスチックの行き場がなくなってしまっています。

そしてここにきてプラスチックは、海洋ごみ、マイクロプラスチックなど、世界中から注目を集めることになりました。海洋ごみの発生源は特に東南アジアと東アジアで、その中でも中国は断トツの350万トンを占め、次いでインドネシア、フィリピン、ベトナムの順に多いといわれています。同じアジア人の一人としてこの問題は決して看過できるものではないと思っています。

過去これほどまでに廃プラスチック問題への関心が高まったことはありませんでした。プラスチックとどう向き合うべきか、プラスチックのリサイクルをどうするべきかを真剣に考えることが今求められているのですが、この問題はとても難しく、適切な解答を見出すことができていません。今日は、私がこの1年間で感じたことをお話して、皆さんと意見交換をさせていただければと思っています。専攻が文系で、化学やプラスチックについては実は素人なのですが、この業界での20年間の経験から何かお役にたてることがあるのではないかと思っています。間違いもいろいろあるかもしれませんがご容赦ください。

コラム

廃プラスチック輸入禁止後の中国

中国は、2017年7月、廃プラスチック輸入抑制方針を打ち出し、環境局職員を動員して全国規模での監視監督体制強化を図りました。そして2017年末をもって廃プラスチックの輸入を全面的に禁止してしまいました(※工場から派生するロス品《=未使用廃プラスチック》については1年間の猶予期間あり)。このため、2018年に中国政府から発行された輸入ライセンスは前年の1%未満と惨憺たる結果となりました。20年間営々と続けられていた中国への廃プラスチック輸出は2017年をもって終わり、一つの時代の幕が引かれることになったのです。

私のところも含め輸入ライセンスを持つリサイクル会社は中国全土で約1,200社ありましたが、それらの全てが、事業からの撤退あるいは国内での循環を基本とする業態への転換を迫られることになりました。私について申し上げれば、1997年の制度発足とほぼ同時に輸入ライセンスを取得し、上海市街地から40キロメートルぐらい離れた太倉市に工場を立ち上げて以来20年やってきたのですが、2017年末をもって輸入ライセンスが切れてしまったため中国での活動を見切り、在庫品も今年4月頃までにすべて処分しました。工場はその後しばらく倉庫として使っていましたが、これもそろそろ売却することにしています。

ライセンスを取得していた会社が太倉市には24社ほどありましたが、そのすべてで更新が認められませんでした。先程触れた猶予期間1年間のライセンスですら1社も取れなかったのです。日本でもかなり名を知られる協栄産業さんの現地企業ですらライセンス更新が認められず、その工場も結局閉鎖ということになってしまいました。

中国には正しい統計データがないので正確なのか分かりませんが、プラスチックリサイクル関係の会社が全国で約4、5万社、そこに関わる人員は40万人ぐらいだと言われていました。ところが政府による「グリーンフェンス」(廃棄プラスチック輸入禁止)規制により、今ではごく一部の大手を除いて、町工場規模の零細な会社はほぼ全滅状態となりました。リサイクル業界では、広東省・順徳が世界的に名の知られたところでしたが、その順徳でリサイクル業に関わっていた1,000社以上の工場のすべてが今では倉庫になってしまったとのことです。順徳以外でもいろいろな拠点がありましたが、それらもほぼ全滅状態です。江蘇省・蘇州地区も数百社のプラスチック加工業者が集まる地域として有名でしたが、これも壊滅してしまいました。浙江省・寧波、台州にはPETボトルリサイクルで有名な大発という会社があるのですが、そこから少し離れた山東省・菜州や河北省・天津にもプラスチックリサイクル業者の集まっているところがありました。でもそこもこの1年でほとんど全滅状態となってしまっています。中国におけるプラスチックリサイクル事業は今、大変革の時代を迎えているのです。

参考①:中国による規制の動き(当協会で作成)

2017年5月「循環発展引率行動」公布・実施」
:経済のグリーン転換促進を目指す
7月 「固体廃棄物輸入禁止措置実施」をWTOに通告
「固体廃棄物輸入管理制度改革実施案」公表
:17年末までに環境への危害大の固体廃棄物輸入禁止
:19年末までに国内資源で代替可能な固体廃棄物輸入段階的停止
:中国国内での廃棄物資源回収利用率アップ
8月 「輸入廃棄物管理目録」公表(12月31日施行)
:「固体廃棄物輸入禁止目録」に生活(非工業)由来
廃プラスチック8品目等、4類・24種の固体廃棄物追加
12月 環境への危害大とする固体廃棄物の輸入禁止全面施行
2018年4月 固体廃棄物の更なる輸入停止方針公表(12月31日施行)
: 「固体廃棄物輸入禁止目録」に工業由来廃プラスチック、
廃電子機器、廃電線、廃ケーブル等16品目追加

参考②:日本からのプラスチックくず輸出推移(単位:千トン) (財務省貿易統計 HSコード3915のデータを基に当協会で作成)

コラム

※2019/03/15 訂正:
誤ったグラフが掲載されていたため、グラフの差し替えを行いました。

中国のプラスチックリサイクルの歴史

中国におけるプラスチックリサイクルの歴史は、中華人民共和国建国の1950年代から始まります。それから80年代の改革開放までの計画経済の時代は、全国を網羅する回収ネットワークが構築されていました。私が小さいとき、家のすぐ近くに回収場所があったことを覚えていますが、80年代の市場経済への方向転換によってこのネットワークはすべて壊れてしまいました。

私は1997年に中国国営のリサイクル事業に関わるようになり、日本の廃パチンコ台のリサイクル事業を初めて立ち上げました。その当時中国には物資局があり、そこが物資再生協会も兼ねていました。その華東支社の大きな建物の半分を借り受けて事業を立ち上げたのですが、実はそのころから経営の雲行きは怪しくなってきていました。

80年代から昨年までの間の中国では、民間零細企業、町工場が乱立する中、輸入ライセンスを与えられた会社が業界をリードする形となっていました。私は、廃プラスチックを唯一日本のみから輸入し、中国内でペレットに加工し販売する事業を展開していたのですが、中国国内では、アメリカやヨーロッパから廃プラスチックを大量に集めペレットを製造する大規模会社もありました。当時の私の知人の中には、香港を拠点にして毎月コンテナを2,000本輸入し、自前のオフィスビルに100人もの営業部隊を置くといった事業家もいました。そこでは乙仲(=海運貨物取扱業者)さん2社に駐在してもらい、膨大な量の廃プラスチックを取り扱っていたのです。廃プラスチックの輸入全面禁止により、こういった時代もとうとう終わりを告げることになってしまいました。

コラム

大企業の新規参入

輸入を禁止し国内リサイクル体制を強化する政策が打ち出されたことで、中国のリサイクル事業は不安定な時代に突入することになりました。昨今の中国の動きを簡単にいえば、大企業のリサイクル市場への新規参入がものすごく目立つということが挙げられるでしょう。たとえば桑徳グループは、中国全土でのごみ回収、家電プラスチックのリサイクルネットワークを展開しています。具体的にいえば、家電リサイクル工場を13社買収し、また全国各地に生活ごみを回収するためのネットワークの構築を進めています。この他、水処理などといった事業にも進出しています。最近では日本にプラスチック再生工場10カ所をつくるとの話もあり、実際、今関西で1社立ち上げ中です。桑徳は中国の上場企業ですが、桑徳以外でも、原子力発電、水力発電を本業とする上場企業がプラスチックリサイクルの会社を次々と買収して、大規模リサイクル工場立ち上げに動いています。他の民間企業でも、プラスチックリサイクル事業に注目して本格的な進出を狙っているところがあるようです。これらの動きは、中国政府が環境問題への積極的取り組みを打ち出したことによるもので、廃プラスチックのみならず、気候、水、土壌など様々な問題を抱える中国での環境ビジネスが将来非常に有望視されるものとなったということを意味しています。また上場企業からすれば、リサイクル事業への積極的取り組み姿勢を打ち出すことは、成長の見込める会社としてのアピールができるという思惑があることも否めません。

上の写真は、習近平さんが格林美グループの最新家電リサイクル工場、プラスチックコンパウンド工場を視察したときのものです。格林美は、今、中国で新しいタイプのリサイクル事業を進めているとして一番注目されているグループです。

中国のリサイクル事業は新時代に突入することになったのですが問題点もいくつか抱えています。その一つは、この2、3年に立ち上がった大規模工場のほとんどが資源の回収不足に直面していることです。要するに原料が足りないのです。例えば家電についていえば、中国ではまだ中古家電市場(=家電リユース市場)が生き残り、廃家電が十分に集まらないため、家電リサイクル工場のラインが遊んでいるといった事態も生じています。

別の大きな問題点は、回収した廃プラスチックの処理コストが非常に高くて採算が取れないことです。そもそも中国では、日本のような公的、半公的な廃資源回収システムがまだできあがっておらず、資源は排出者・回収者間の対面取引、市場経済の仕組みの中でまわっています。政府は、一部企業に補助金を出し、あらゆる回収したものを有価物としてリサイクルに繋げていこうとしていますが、手間がかかって人件費が嵩み、リサイクルのコストに跳ね返ってしまいます。また原油価格の下落でバージン品市況が下がり、再生ペレットの売価がコスト割れになるといったこともしばしば起こっています。

以前私のところに持ち込まれた企画の中にも、魅力のある話なのだけれどもよくよく考えてみると採算が取れないものがありました。上海では透明な弁当箱ガラが年間30万トン集められているといわれています。この数値の信憑性については中国2大サイトの統計データで確認することができるので、実情に近いものと思います。持ち込まれた企画というのは、上海のあるリサイクル工場が閉鎖するので、これを私のところでやらないかというものでした。面白そうなので詳しく聞いてみると、集めるのにキログラムあたり2元、日本円換算で33円かかるとのことでした。スープなどの残飯や割りばし、ティッシュペーパーなどが残る状態でのキログラムあたり33円です。半分以上はゴミ(残渣)になるので、仮に歩留まり50%で計算すると、収集だけでキログラムあたり66円かかることになります。これに中間処理、前処理、ペレット製造、物流の費用まで含めると、ペレットが仮に100円以上で売れたとしてもおそらく利益は出てこないでしょう。

リサイクル事業への上場会社進出が非常に目立ちますが、他方いろいろな課題が次々と生じているというのが現状です。

コラム

各地で展開される政府主導の大規模リサイクル

現在、中国各地では政府主導の大規模リサイクル事業が展開されています。上の写真は習近平さんが上海虹口区の生活ごみ分別回収現場を訪問した際のものです。「ゴミ分別回収は新しいライフスタイルだ」とコメントしたとのキャプションもつけられています。日本でいえば安倍首相が分別回収現場に視察に行って「ゴミ分別は新しい暮らし方だ」と発言したようなものですが、日本の方からすればとても想像できない光景でしょう。しかしながら中国では間違いなく、政治力をもって分別回収が強力に押し進められようとしているのです。虹口区は日本にも非常に縁があるところです。日中戦争以前の1930年代の上海には日本人居留地があり、虹口区には13万人の日本人が暮らしていました。このことは中国近代史にも出てきます。虹口区にはあの魯迅も住んでいました。私の実家もここにあります。習近平さんが視察にやってきた生活ごみ分別回収現場は実家のすぐ近くにあります。また蘇州市には、国営企業6社が共同出資し立ち上げた市全域をカバーする回収ネットワークがあり、大規模な総合リサイクルセンターもつくられています。

さらに2018年には農業部主導の農ポリ回収運動も始まりました。回収の機械化を図るための農ポリ厚み0.01ミリ統一、農家による農ポリ自主回収・農ポリリサイクル工場設立への補助金制度設定などが進められています。農ポリ回収運動は、新疆、甘粛、陝西省、内モンゴル、黒竜江省、吉林省などの北西地方・東北地方をモデルとして全国的に展開されており、2020年での農ポリ回収率80%達成を目指しています。

コラム

スマホアプリを活用した資源回収とリサイクル企業の海外進出

次にスマホアプリ利用回収システムの全国展開についてご紹介します。このシステムは「小黄狗方式」と名付けられ、これにより、上海を始めとする中国全国の住宅街や団地に、写真に示すようなボックスが多数設置されました。政府も強力に後押ししています。「小黄狗方式」とは、資源回収ボックスに廃プラスチックも含めた廃棄物を入れるとスマホアプリに代金がもらえるという仕組みです。中国ではインターネットを駆使したこういったやりかたがいろいろな分野で目立つようになってきました。「小黄狗方式」が今後どうなるか、うまくいくかはよく分かりません。そもそも代金を本当にもらえるのかの心配もあります。と言うのは、中国ではこういった仕組みをつくってファンドに投資・上場し、お金を得るとすぐに投資した会社を売り払ってしまうことが多々あるからです。近時、自転車リースシステムの全国展開が図られましたが、今ではその中のいくつかの会社が潰れてしまっています。

次に申し上げたいのは、近年、中国企業によるプラスチックリサイクル事業海外進出が非常に目立つようになったことです。主な進出先は二つのエリアでその内の一つが東南アジアです。先にお話したように、中国国内にはもともと廃プラスチックに携わってきた会社が何万社もあり、働く人も何十万人といたのですが、ここにきて肝心の廃プラスチックが海外からほとんど入ってこなくなってしまったわけです。勿論、中国国内には再生プラスチック原料の需要が確実にあるので、廃プラスチック事業関係者からすれば「これはどうにかしなければ」ということで、旧来からのネットワークをフル活用して海外、まずは東南アジアへの進出をということになった次第です。

とはいえ東南アジアでも廃プラスチック輸入を制限する国も出てくるなど、現地事情が分からず失敗ということもいくつかありました。そんな中、成功例の一つとしてマレーシアに展開した金発を紹介します。中国で金発というと、プラスチック原料コンパウンド会社として一番有名な企業で、国内に何カ所もの支社を有する年商3,200億円規模の会社です。私の会社の主要販売先もこの金発で、週に2本・月間8本のコンテナを出しているのですが、金発ではいつも原料が足りない状態にありました。年間20万トンぐらいの再生ペレットを造っていたので、金発はその原料を賄うために中国内に年間80万トン規模のプラスチックリサイクル工業団地を作る計画だったのですが、まさにそのタイミングで廃プラスチック輸入禁止に直面することになってしまったのです。そこで金発は、国内でなく海外、具体的にはマレーシアにABS、PS、PPを月間3,000トン造る工場を立ち上げることにしました。

他の成功例の一つが英科です。日本のEPSインゴットの半分以上がこれまでこの英科に輸出されていました。その英科も現在はマレーシアで第1工場を稼働させ、さらにEPSペレット月産2千トンの生産能力を持つ第2工場も完成させています。

二つ目の動きがヨーロッパ、アメリカ、日本などの廃プラスチック排出元への進出です。ご存知のことかと思いますが、PETボトルリサイクル大手の大発が今、日本5カ所での工場設置を進めています。既に熊谷工場は稼働し始めており、加須工場も建設途上にあります。九州での工場用地も押さえていますし、中部、関西にも工場進出予定ということです。同社社長の杜さんは、日本への本格的進出を踏まえ、日本の経営管理ビザを取得し、一年のほとんどを日本で過ごすまでになっていると聞いています。

コラム

中国廃プラスチック輸入20年の遺産

20年間続いた中国の廃プラスチック輸入は、結局どのような遺産をもたらすことになったのでしょうか。私は、世界の使用済プラスチックのマテリアルリサイクルを中国が牽引してきたことについては率直に評価すべきであると思っています。この20年間中国は、世界の廃プラスチック輸出量の半分を受け入れてきました。そのメインは事業系使用済プラスチックで、中国で行われていたリサイクルはマテリアルだけでした。日本企業の「ゼロ・エミッション運動」は、実は中国への輸出抜きでは語ることができないのです。リーマンショック以降中国の廃プラスチック輸入量は毎年700万トン以上になっていました。

 

ところで中国が輸入していた廃プラスチックは混合プラスチックでした。混合プラスチックはそもそも異物混入ありきのものです。中国ではそれを人海戦術によって徹底的に選別し、単一素材のペレットにしてきました。残渣ができるだけ生じないようにすることで、輸入700万トンのうちの600万トン以上を再生ペレットにしていたのです。

 

中国の再生ペレットの品質はどうかとよく聞かれます。日本は再生ペレットにバージン材と変わらない物性を要求しますが、そこまでいかないとしても中国の再生ペレットは実は相当に高品質なのです。これは私が責任を持って断言できます。きちんとした選別に基づき物性保証をしていますし、さまざまな用途に用いられることもあって品質は相当に高レベルなものが求められています。例えば、日本の再生ペレットでは40メッシュ、60メッシュのものを使い単一素材としています。中国ではこういったことは駄目ですが、中国の再生ペレットはいろいろな再生商品に使われており、バージン材ほどではないにしても品質は高いと私は思っています。

 

ところで、廃プラスチック輸入禁止を受け海外で立ち上げた再生ペレット工場の製品を中国で輸入してみたところ、品質があまりよくなかったとの話も聞いていますが、これはプラスチックの再生ノウハウを持たずに急に海外展開を進めたために、現地での品質管理体制がまだ万全なものになっていないことによるものと思います。

 

先程触れたように中国各地にはプラスチックリサイクル業者の集約地がたくさんありました。一都市に数百から数千社ほどの零細企業が集まっているので対応力の面では絶大なものがあったのです。これがなかったら日本で生じた小ロット多品種の廃プラスチックの行き場はなかったでしょう。

 

亜星(太倉)再生資源開発という私の会社は、この20年間、毎月廃プラスチックのコンテナ100本ほどを日本から輸入していましたが、それらコンテナの中で単品種のものは極わずかでした。100本中10本もなく、ほとんどが3、4種類、5,6種類の混合プラスチックでした。ひどいものでは100㎏毎に1品目の細かいリストがずらっとついているようなコンテナもありました。要するに小ロット多品種混載の日本からの廃プラスチックに小まめに対応していたのは、中国の零細企業だったのです。数百社、数千社が一カ所に集まるこのような地域では、コンテナを開けてみて廃プラスチックの品種がロットでまとまっていれば自社で対応し、ロットがまとまっていなければ「ABSなら自社で」「PSならあの会社に」「PPならこの会社に」と、近隣同士で協力分担していました。しかしこういった体制はもう失われてしまいました。今後二度と世界のどこでもこういったことはできなくなってしまいました。小ロット・多品種の廃プラスチックをどう処理するかは今後大きな課題の一つになるのではないかと思っています。

コラム

再生ペレットの「受け皿」へと変貌する中国

中国では、プラスチック再生原料の用途開発が進められる一方で、巨大な実需市場が確実に存在しています。廃プラスチック輸入を禁止しても、巨大市場がプラスチック再生原料を待ち望んでいるのです。ここにきて、最大の廃プラスチック受け皿から最大の再生ペレット受け皿へとその立ち位置を大きく変えることになりましたが、中国はこれからも世界のマテリアルリサイクル牽引車の役割を担っていくものと思っています。

 

ところで、再生ペレット輸入においては、「色・形状・パッケージ」の3つの統一が必要というのが中国税関の要求です。色の濃い薄いなどのばらつきがみられる再生ペレットは「ごみ」とみなされてしまいます。形状についても同じコンテナの中にストランドカット方式のものとホットカット方式のものを一緒に入れたら駄目だということになっています。

 

私の会社では、同一の機械で生産した再生ペレットをワンコンテナにし、それを最小ロットとして対応しています。生産計画策定には苦労しますが、克服できぬものではないと思っています。

 

さて中国におけるプラスチック再生原料の需要は現状どのようなものでしょうか。私の会社の再生ペレット商品化事例を示してみます。たとえばPEフィルムの中でもストレッチフィルムのほとんどは気泡緩衝材に変わります。残りは宅配便の袋やレジ袋になっています。ストレッチフィルムの人気が特に高いのは、それが気泡緩衝材の原料にすることができるからです。

 

今、中国では気泡緩衝材市場が急成長していますが、これはネット販売が盛んになっていることとも関連があります。気泡緩衝材は段ボール中のクッション材として使われ、PPバンドで縛ります。年2割ぐらいの伸び率を示すヒット商品になっています。

 

次に排水管原料としての再生プラスチックです。ブロー成形したHDPEのケミカルドラムや蛇腹タンクを集めてペレットにしています。なぜ排水管なのか。私は、今後中国で最も手堅い需要があるのは排水管とみています。これからは都市が中国経済を牽引していきます。中国沿岸域は大都会になりましたが、内陸域はまだ農村地帯で多くの村があります。近年その村と村の間にニュータウンが開発されるようになりました。これからの中国経済を何十年と引っ張っていく原動力になるのはこういったニュータウンです。これまで農村には排水管といったインフラがなかったため排水は川に直接流されていました。都市をつくるためのインフラ整備はまず排水管からです。ですからその需要はものすごく大きなものになるとみています。排水管は圧力のかからないパイプですので、バージン材に再生ペレットを混ぜたものでも十分に機能します。膨大な需要が期待できるのです。

 

それから当社ではPETボトルのキャップを月間300トンほど再生ペレットにしています。これはコンパウンドの基材や果物の遮光ネットに使われています。またPPの衣料品袋は中国でハンガーになっています。これも私のところで衣料品袋からの再生ペレットを月間10トンぐらい生産しています。以上のように再生ペレットはいろいろな商品に生まれ変っています。

 

上の写真は先般ビッグサイトで開催された「環境展」に当社が出したブースです。今後廃プラスチックがどうなるのかの見通しを立て難い中で、私の会社では「大量に買い取ります」ということを積極的にPRしました。キャップ、フィルム、PPバンド、蛇腹タンクなど私の会社では積極的に集めて再生ペレットに生まれ変らせています。中国では再生ペレットの需要が確実にあります。今後も中国が世界のマテリアルリサイクルを牽引していくことは間違いないでしょう。

 

ちなみに2018年に中国が輸入した再生ペレットがどのぐらいかというと、私が耳にしたところでは300万トンとのことでした。「そんなにもあるのか」とも思いますが300万トンだそうです。

 

中国の輸入禁止によって廃プラスチックは一時的に東南アジアに輸出されるようになりました。2017年後半に中国が廃プラスチックの全面的な輸入禁止措置をとることがわかってから、私もすぐに東南アジアをまわってきましたが、「廃プラスチックペレット再生の全面的な東南アジアシフトは絶対にあり得ない」と思いました。人が多いので確かに人件費の面では魅力的ですが、東南アジア自体のプラスチック需要量はそんなに大きくはありません。世界中の700万トンの廃プラスチックのかなりのものが東南アジアなどに向かい、結果としてリサイクル過程で発生したダストは東南アジアに残され、再生ペレットだけが中国に送られるという流れがとりあえずできあがったわけですが、これほど不合理なものはないと私は思っています。1、2年ぐらいはもつかもしれませんが、半年も経たぬうちに東南アジア各国でも規制を強めていくでしょう。結論からいえば中国が輸入禁止を徹底するとこれまでの廃プラスチックの国際循環は根本から成り立たなくなってしまうのです。これをどう解決するかですが、日本についていえば、国内でのリサイクルを進めていくしかないと思っています。

コラム

いまこそ考えよう、プラスチックを!

現状を考えると、私たちは今こそもう一度プラスチックのことを真剣に考えるべきです。一つの主張として、「プラスチック素材使用量を抑えろ」というものがあります。しかしながらその主張は限界があると思っています。例えば今話題のストローですが、ストローを全部やめたらからといってプラスチック使用量がどれだけ抑えられるというのでしょうか。はなはだ疑問です。ただのパフォーマンスになってしまうのではないでしょうか。現状プラスチックほど優れた性能と加工性を持った素材はありません。プラスチックは私たちの生活を革命的に向上させてきました。これからも幅広い活用が期待されるもの、それがプラスチックなのです。

廃プラスチック問題の解決はロマン主義的環境論からの脱皮から始まると思います。もともと環境論はヨーロッパのロマン主義から始まりました。たとえば「森で暮らす」的環境論です。森で暮らすことはとても素敵なことに思われます。しかし実際に森で生活するにはテントが必要です。そしてそのテントはプラスチック製なのです。プラスチックに頼らず本気で森で生活するなら穴を掘るしかないでしょう。ニュージーランドの大学教授で10年間森の中で生活をしていた人がいるそうですが、結局テント生活でした。穴を掘って生活をしていたわけではありません。そういうロマン主義的な環境論をやめないと真剣な議論は始められないと思います。

さて廃プラスチックの発生量は年々増えています。OECD(経済協力開発機構)の発表によると年々プラスチックごみの発生量は増え続け、今では3億トンを超えるということです。ではこれを止められるのでしょうか。とても止められないというのが本当のところでしょう。プラスチックを使用しない、全面的にやめてしまうというのは現実的ではありません。結局、廃プラスチックの氾濫を適正な処理によってどう抑えていくかを地道に考えていくしかないのではと思っています。  プラスチックの適正処理にはマテリアルリサイクル、ケミカルリサイクル、サーマルリサイクルといろいろありますけれども、リサイクルに関して日本は優等生であり、有効利用率は既に85%前後に達しています。この中でマテリアルリサイクルはプラスチックの使用量を確実に抑えられる手法です。またケミカルリサイクルも廃プラスチック問題を解決できる手法として重要です。廃プラスチックを分子、原子レベルに戻し、新しいプラスチックをデザインできれば、廃プラスチック問題を完全に解決できるのではないかと思っています。とはいえ、市場経済の枠組みでの循環推進には多くの困難が横たわっています。循環を進めるにはそもそもコストが非常にかかります。どこからか安いバージン材が入ってきたら循環システムは簡単に崩壊してしまいます。実際、中国では、プラスチック再生原料が足りないということでイランから安いバージン材を買い付けたのですが、その結果、再生PEの相場が一気に下がってしまいました。

私としては、循環経済を考える上での矛盾・困難があることを否みませんが、現実的な対応という観点からすれば、サーマルリサイクルの選択もやむをえないと思っています。

全体を変えるのは困難としても、われわれができる範囲で最もふさわしいリサイクルを選択し押し進めていくべきでしょう。私の会社でもそれを実践しています。

さて近時話題になっているものとして生分解性プラスチックがあります。生分解性プラスチックと従来のプラスチックは混合回収できません。従来のプラスチックと生分解性プラスチックとをどうやって分別回収するのか。生分解性プラスチックの回収を無理に持ち込めば、現行の分別回収システムが骨抜きになってしまいかねません。そもそも生分解性プラスチックは加工上、耐熱性などの問題があるので限られた用途でしか使えないのです。生分解性プラスチックとして確実に回収ができ、かつ普通のプラスチックと混合させないということであれば、農ポリに限り生分解性プラスチックの再利用ができるかもしれませんが・・。生分解性プラスチックではトウモロコシを原料とするポリ乳酸由来のものが主流のようですが、従来のプラスチックをこのポリ乳酸由来のものに全面的に置き換えるとなると広大なトウモロコシ畑が必要です。もしかしたら地球上がトウモロコシ畑で覆いつくされてしまうかもしれません。そうなったら生物多様化の破壊に繋がりかねないでしょう。

コラム

日本国内でのリサイクル ~ 課題と打開策

話を日本国内でのリサイクルに移します。私は、日本は中国への輸出時代から脱し日本国内でのリサイクルを中心に置いて廃プラスチック問題を考えるべきと思っています。

日本から中国に輸出されていた廃プラスチックは年間およそ130万トン程度でした。貿易データでみると中国本土に直接送られたものが約80万トン、香港経由で送られたものが約50万トンということになります。日本から中国に輸出されていた廃プラスチックの約8割は事業系のものでしたので、どちらかといえばマテリアルリサイクルしやすいものであったといえます。とするなら日本としてはこれらの日本国内でのマテリアルリサイクルも考えられるのではないでしょうか。PETボトルリサイクル推進協議会の公表データによれば、昨今の日本のPETボトル回収量はおよそ50万トンということです。そのうちの約30万トンが中国に輸出され、さらにその半分を大発が買っていました。その輸出が途絶えることになったため、大発は、日本へ進出し、輸入できなくなった数量を確保することにしました。大発以外の中国の会社何社かも、日本に進出しPETのペレットやシートを造る動きがあるとの話も聞こえてきます。2019年の日本市場ではおそらく廃PETボトルの争奪戦が始まるのではと思っています。

日本国内の包装用フィルム回収量は21万トンでそのほとんどが輸出向けだったかと思います。これも今後日本国内でのリサイクルを考えなければなりませんが、リサイクルを進めるうえで汚れや異物混入、水濡れをどうするかが大きな課題になると思います。リサイクルするには、異物除去、濡れものの洗浄といったことが必要ですが、昨今の人手不足の環境下では非常に困難なことです。とはいえ当社も含めそういった課題を乗り越えようとしている企業も増えてきています。

また家電回収量は17万トンです。これまで単一素材解体品は国内で再利用されていましたので、輸出されたのはひずみ品というか混合品でした。この混合品をどうするかが今後の課題です。エコマテリアルを含め混合品を何とかしようということで今数社が奮闘中です。

廃プラスチック処理に当たっては難しい面が結構あります。一番の問題はダストの取り扱いです。中国の広東省では手や塩水による選別を人海戦術で対応していましたが、静電気式自動分離や光学式センサーなどを使ったとしても3割ぐらいのダストが発生していました。また汚れた塩水処理の問題もあります。今何社かが問題解決に向け鋭意挑戦中です。

コラム

農業用廃プラスチックの回収量は8万トンです。日本では廃農ビについては、国内でのマテリアルリサイクルシステムが確立していますが、廃農ポリについてはこれまで輸出に依存していました。廃農ポリを日本国内で何とかしようと考えている会社もありますが、歩留まりが4割程度と非常に低いことがネックとなっています。廃農ポリのリサイクルはそれがプラスチックの仕事なのか土との格闘なのか分からないと嘆かれるくらいにとても面倒なものです。当社も茨城県の要請を受け廃農ポリのリサイクルに取り組んだことがありますが、50トンほどテストをしてさじを投げてしまいました。

発泡スチロール廃梱包材回収量は年7万トンです。これはEPSインゴットにし輸出されています。現在EPS取引価格は史上最高値域にあり、従前キログラム50円ぐらいだったのが、80円でも買えなくなっています。これは資源プラスチックリサイクルの一つの成功例といえると思います。また廃PETボトルは回収からリサイクルの仕組みが整っており、再生資源として活用されています。発泡スチロールインゴットは、もともとは処理がやっかいなものでしたが、EPSインゴットに変えることで有用な資源プラスチックにすることができました。処理が難しく敬遠されていたものが今では史上最高値で取り引きされるまでになっています。

廃電線被覆は7万トンです。この回収量は外側のカバーの部分で、問題は雑線をどうするかです。雑線の輸出もこれからは禁止となります。従来、銅含有率約42%の雑線はほとんどが中国へ輸出され被覆と銅とが分離回収されていました。それが輸入禁止により日本国内での分離回収ということになると大量のダスト、ナゲット屑の処理をどうするかが大きな課題となってきます。これにチャレンジしている会社もあり、私のところにも「どうしたらいいか」との相談がありましたが、まだ答えを出せていません。

コンテナ類の回収量は6万トンです。国内需要がそれなりにあるので、あるいは今後不足するかもしれません。現状パレットの半分以上がまだ木製ですので、今後どんどんプラスチック製に置き換わっていくと思います。コンテナ類のPPブロックグレードのものについては日本でもまだ需要があるとみています。

以上のように、日本の輸出していたおよそ130万トンの使用済プラスチックの半分以上は、国内でもそれなりの需要があると見ています。廃PETボトル20万、30万トンがまだ奪い合いの状況にあること、EPSインゴットが史上最高値で取り引きされていること、コンテナ類は国内で不足気味であることなどを勘案すると、130万トンの半分ぐらいは既存システムで十分対応できると考えます。問題は残りの60万トンをどうするかということになります。そのうちの混合プラスチックは人手不足の日本では処理しづらいと思いますが、それ以外は国内におけるリサイクルシステムを構築できれば問題解決に繋げられるのではないかと思っています。そもそも中国はプラスチック輸入を全部禁止したわけではなく、環境配慮の資源プラスチックに再生できれば当然輸出は可能なのです。メディアでは昨今中国廃資源の輸入全面禁止を大げさにとりあげていますが、私はそれほどたいした問題ではないと思っています。

コラム

協力し合えば難しくない! ~ 事業系廃プラスチックの分別回収

日本では事業系廃プラスチックの分別回収システムがまだ十分ではありませんので、分別回収を進めるには排出元の協力が不可欠です。実際この20年間で多くの面で進展がありました。私の会社が排出元と一緒になって取り組んでいる案件もあります。その一つとして国内に2,000店舗ぐらいある大手アパレルメーカーから回収した衣料品袋からペレットを造り、それを原料にしてハンガーに変えてその会社に戻すという事例をご紹介します。これは私の会社が中国に拠点を置いていたときから始めたもので、既に8年の経験を積んでいます。現在その業務を日本へシフトしつつあるところです。事業系廃プラスチックの分別回収とリサイクルの流れを徐々ではあっても確実に構築していきたいと思っています。

プラスチックのリサイクルを進めていくうえでは確かにいろいろ問題があります。これをフィルムの例で見てみましょう。ストレッチフィルムの素材はLDPE、HDPEですが、これらは形状や外観から判別ができるので、簡単に分別することができます。私がいろいろな物流センターを見て面白いと思ったのは、一般的なゴミはきちんとゴミ袋に入れられているのに、廃ストレッチフィルムは雨に濡らし汚れたままになっていることでした。これは非常に不思議なことでフィルム廃棄の際の意識を変えればより良い分別が可能になるのにと思いました。LDPE、HDPEを分別して袋に入れておけば、濡れることも汚れることもありませんし、テープやシール、紐などの異物をその場で取ってしまえます。そうすればより良いマテリアルリサイクルに繋げていくことができるのです。

古紙処理の世界ではプラスチックは紐1本でも必ず取ってしまいます。長い歴史の中で選別のやり方が定着しており、紐1本でも見つければ抜いてしまうのです。しかしこのようなことをフィルムの梱包に期待するのは難しいのが現状かもしれません。そうであっても、混合しているものをきちんと分別するのは、時間がかかるかもしれませんが、そう難しいことではないと思います。

このあたりについて他の事例をお話します。廃フィルムにマジックで字が書いていることがあります。黒色で書いてあっても少しなら加工ペレットの色に影響を及ぼしませんが、多量ですと黒っぽくなってしまいます。些細なことですが、そういうことを地道に学んでおけば、より望ましいマテリアルリサイクルに繋げられます。

また資源プラスチックの共通基準を是非設けるべきと思っています。近時、パナ・ケミカルさんが「資源プラ・プロジェクト」を立ち上げ「資源プラ」という言葉を浸透させようと頑張っておられます。これについて私は大賛成です。プラスチックの歴史は浅いため古紙業界のようなメーカーに納める際の基準がそもそもありません。これからその基準をつくっていかねばならないと思っています。汚れ、異物、水分付着程度などの前処理段階、また梱包、保管、輸送料などの回収分別段階におけるリサイクルしやすい基準を設けて、基準を満たしたものを「資源プラスチック」とするといったことを定める必要があると思います。今、プラスチック製品にはリサイクルマークがつけられています。これは容器包装のためのリサイクルマークと聞いていますが、このマークをみても私としてはどんなリサイクルにつながっているのか今一つ分かりません。例えば私が毎日服用している薬のカプセルにもこのマークがつけられていますが「果たしてこれは回収されているのか」「本当にリサイクルされているのか」いつも疑っています。マークがついていれば一般消費者は「あのマークがついているものを買えばリサイクルされるのだろう」、それをごみ箱にポンと入れたら「これでリサイクルに繋げることができたのだろう」と思うのかもしれませんが、本当のところどうなっているかは確かめることができません。私の経験からすると、「本当はリサイクルされていないのではないか」、さらには「回収すらされていないのではないか」とついつい勘繰ってしまいます。そうならば、現実にマテリアルリサイクルされているものだけの専用マークを設けてはいかがでしょうか。この専用マークは、PETボトルのように製造元や排出元、回収システム、中間処理とマテリアルリサイクルの仕組みが確立したものだけにつける。そうすればこのマークと現実のマテリアルリサイクルシステムとを直結させることができます。漠然とマークをつけているだけでは本当にリサイクルに繋がっているのかよく分からないのです。

さらにマテリアルリサイクルしやすいような製品設計、いわゆるエコデザインも強化すべきところです。日本のPETボトルはエコデザインの成功例ですが、キャップ、ラベルの単一素材化など、改善の余地はまだあると思います。

PETボトルのキャップは回収PETボトル全体量の6%を占めています。PETボトル回収量年間50万トンの6%ですからキャップは3万トンということになります。キャップは、当初はPPが7割、PE3割ぐらいだったのですが、昨今は逆転してPE7~8割、PPが2~3割となっています。当社でも月間300トンぐらいは処理しているのですが、PP、PEが混在するためリサイクル素材としては決して良いものとはいえません。PEへの統一をPETボトル業界に投げかけてみてはいかがでしょうか。近時、私の会社のようにキャップを集めペレットを造る会社も増えてきました。「ペレットを造る素材としてPETボトルのキャップは適している」と思われているようですが、私からすれば「適しているのではなく単に集めやすいからだ」と思っています。中国に輸出できなくなったので、日本国内でキャップの粉砕洗浄を仕方なく始めることにしたということに過ぎません。日本でPETボトルの粉砕洗浄をやっている会社は、ある程度のロットがないと採算がとれないので、月間1,000トンぐらいのPETボトルを取り扱っています。その結果60~70トンのキャップが出てくることになります。小ロット多品種である日本の廃プラスチックの中では、PETボトルのキャップは比較的集めやすいので、そのままペレットにしているのですが、そのペレットの品質が良くないのです。PPメインの中でのPE混入ならまだよいのですが、PEメイン中でのPP混入のため品質がよくありません。それを全部PEにすることができれば単一素材による高品質なペレット製造が可能になります。ラベルの問題もあります。ラベルはPETボトル全体量の約4%、年間2万トンぐらいになります。ラベルはサーマルリサイクルで処理していますが、25円でお願いしても引き取ってくれないところが多いのです。日本ではいまPP、PS、PETのラベルが多いのですが、これらは完全にダスト扱いとなっています。これをたとえばPPラベル一本に絞れば、マテリアルリサイクルすることができます。またどうしてそうなのかわかりませんが、ハンガーにはPP、PSなど樹脂の異なるものがあります。こういったものも一種類の樹脂に統一してよいのではないでしょうか。以上のように特に大量使用の事業系プラスチック製品についてはエコデザインを強化すべきと思います。

ここにきて国内のリサイクルにおける一番の問題は何かとよく聞かれるようになりました。私の回答を申し上げれば「それは人手不足」ということです。そうであるなら海外人材をあてにして廃プラスチックを輸出するのではなく、リサイクルに携わる海外人材を積極的に受け入れることも考えられるのではないでしょうか。本日は多くの団体の方が来られています。ぜひ皆さんの力で日本政府にこのような提案をしていただければと思います。世の中の流れを変える仕組みを作るには中小・零細企業中心のリサイクル業界だけでは力不足です。企業団体、大手企業、特に化学メーカーのバックアップが必要です。

古紙業界がある程度健全なのはバックに製紙メーカーが控えているからです。金属のリサイクル業界でも鉄鋼メーカー、精錬メーカーがバックについています。ところがプラスチックリサイクル業界には後ろ盾がありません。日本には再生プラスチックを営む会社が150社ほどありますが、そのほとんどが「じいちゃん・ばあちゃん」がやっているような家族経営の会社がほとんどで生産量も月間100トン、200トンといった小規模です。しかも高齢化により会社存続が覚束なくなって年々消えてしまっています。このような弱体業界が自力でプラスチックリサイクルを進めていくには力が足りません。そうだからこそ大手のバックアップが不可欠なのです。

コラム

亜星の挑戦

私の会社「亜星」は廃プラスチック中国輸出時代とともに発展してきた会社です。ところがその輸出が全面禁止となり環境が激変することになりました。この変革に対しある程度の心の準備をしていたので、必ずしも計画的ではなかったのですが、日本国内主体のリサイクルに事業転換を図ることにしました。その経営ポイントは100%の日本国内生産ということです。国内で高品質の再生ペレットを造り、国内のみならず中国などのアジア市場に供給していく。今年は月間1,000トンの量産体制を1年間で立ち上げていくことを目標としていますが、おかげさまで、現時点で700トン以上の出荷を達成しており、年度目標は達成できるものと思っています。

また当社はオレフィン系包装材料のマテリアルリサイクルに絞り、PP、PEなど使用済プラスチック国内リサイクル量の1%にあたる処理をしていく考えです。日本で発生する約130、140万トンの使用済プラスチックについて、当社で月間1,000トン、年間で1.2万トンの再生プラスチックを生産すれば約1%貢献できるということになります。「中国亜星」時代からの延長線上で粉砕洗浄と前処理、ペレット化までを一貫生産し、物性保証を徹底していく考えです。このことを踏まえて、関東エリアでの荷集めと前処理強化のために、先般野田に工場を新設しました。まずは茨城工場でシェア1%を固め、排出元と回収業者、同業他社とエコパートナーを組んで共同事業を行い、他社へ発注する委託加工という手法を使って貢献度3%を目指したいと考えています。そして茨城の場で築いたモデルを日本全体に拡大できればと思います。

今後も頑張っていく所存ですので、皆さまのご支援・ご協力を賜ればありがたく存じます。

コラム

亜星商事株式会社
本社・工場 茨城県笠間市押辺2403  (TEL・0299-57-3928)
東京営業所 東京都千代田区神田須田町1-24 神田AKビル5F-A
(TEL・03-6262-9494)

沿革
1994年 非鉄金属スクラップ輸出業開始
96年 パチンコ廃台リサイクル事業関与(日本初)
98年 中国スクラップ輸入ライセンス制度発足に伴い、
上海近郊に亜星(太倉)有限公司設立
2002年 事業をプラスチックリサイクルのみとし、
中国での再生ペレット製造開始
(08年、廃プラ取扱量30千T達成)
13年 日本に亜星商事株式会社設立 つくば工場稼働開始
15年 笠間工場設置 つくばから工場機能移転
17年 中国廃プラスチック輸入禁止の動き受け
笠間工場で再生ペレット量産体制立ち上げ決定
18年 中国へ再生ペレット輸出開始
東京営業所開設、中国亜星閉鎖